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フランツ・ビンダー

Franz Binder (1911.12.01-1989.04.24)

ブラジルの「サッカーの王様」ペレと並び、世界で唯一公式戦で1,000得点以上を記録した、オーストリア史上最高選手の1人として知られている。
また試合数と比較した決定力ではペレ(1,363試合で1,281得点)を上回る記録を現在でも保持している(756試合で1,006得点)。

8歳の頃地元のクラブでサッカーを始め、プロレベルでは主にオーストリア・ブンデスリーガの名門SKラピード・ウィーンでプレー。オーストリア・ブンデスリーガ4回優勝した以外にも、オーストリアがナチス・ドイツに併合されていた1941年にはドイツ大帝国・サッカー選手権でも優勝を果たしている。
また1937年から1941年までは、4年連続ドイツ大帝国・サッカー選手権リーグ得点王にも輝いている。

また、1930年代から40年代までオーストリア代表チームでは19試合で16得点を、ドイツ・大帝国代表チームでは9試合で10得点を記録している。

「サッカーの王様」ペレをも上回る驚異的な決定率を誇り、公式戦756試合で1,006得点を記録
ペレ(1,363試合で1,281得点)と並び世界で唯一公式戦で1,000得点以上を記録した、オーストリア史上最高の選手の1人である。

しかし、同じく史上最高選手の1人であるマティアス・シンデラーらとは違い、高い技術を駆使して相手選手をドリブルで交わすようなエレガントさはなく、本人も一度も「溢れる才能を持つタレント」、「天才」と評価されたことはない。
実際には190cmの巨体からの豪快なヘディングやペナルティーエリア内外かまわず強力で正確なシュートを打つタイプであり、豊富な運動量と、試合が終了するまで1秒たりとも気を抜かない不屈の精神力を持つ「努力家」であった。

引退後はドイツ(1.FCニュルンベルク、1860ミュンヘン等)、オランダ(PSVアイントホーフェン)、オーストリア(SKラピード・ウィーン等)のクラブで監督を歴任する。

ちなみに非公式戦での得点を含めた記録では元ドイツ代表のゲルト・ミュラー(1455得点)、ドイツ系元ブラジル代表のアルツール・フリーデンライヒ(1329得点)、元ハンガリー代表のプスカシュ(1176得点)、元ブラジル代表のロマーリオ(“自称“1000得点以上)がある。