フーゴ・マイスル - オーストリア・サッカー専門ホームページ

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フーゴ・マイスル

Hugo Meisl (1881.11.16-1937.02.17)

指導者としてだけではなく、国際レベルの主審、オーストリア・サッカー協会会長、FIFA理事等としても優れた功績を残し、オーストリア・サッカーの父として知られている。

サッカー選手として大成しなかったマイスルはオーストリアを代表する主審として1912年夏季オリンピック・ストックホルム大会に出場、以降は指導者として約25年に渡りオーストリア代表チームを指揮。
歴史に残る伝説的な「ヴンダーチーム」を率いて、オーストリア・サッカーの第1黄金時代を築く。

また、サッカーのプロ化に多大な貢献を残し、ヨーロッパ大陸で最も長い歴史を誇るプロフェッショナル・サッカーリーグであるオーストリア・ブンデスリーガの生みの親として高い評価を得ている。

また、8ヶ国語(ドイツ語、チェコ語、イタリア語、フランス語、英語、スウェーデン語、スペイン語、オランダ語)を自由に操るマイスルは1907年からオーストリア・サッカー協会の代表として国際外交で活躍。
UEFAチャンピオンズリーグの前身となる「ミトローパ・カップ」とUEFAヨーロッパ選手権の前身であるUEFAヨーロッパ・ネーションズカップの創設を自ら手掛け、オーストリアやイタリアなどヨーロッパ各国より国家勲章を受けた。

ヨーロッパ・サッカーの歴史を語るには欠かせない人物である。